【ダシマス老舗・カーツ】覚悟を持って掲げる“KAAZ Engine Spirit”
written by ダシマス編集部
創業100年以上の老舗企業に焦点を当てる本企画。持続的な成長と成功をおさめ、時代をまたぎ社会に貢献してきた歴史を紐解き、その長い期間によって培われた文化や知見から、多くの人に気づきとインスピレーションを与えることを目指しています。
岡山エリアから紹介するのは全部で5社。本記事では大正11年に創業し、2022年に100周年を迎えたカーツ株式会社(以下:カーツ)の勝矢雅一(かつや まさかず)さんにご登場いただきます。
大正時代、岡山市で溶接所として創業したカーツ。以来100年の中で成長と改革を続け、自社開発エンジンの製造販売や芝刈機・草刈機の製造販売など、時代の変化に対応し厳しい状況にも打ち勝ちながら事業を展開してきました。そして100周年を迎えた今、カーボンニュートラルが叫ばれる現代で、「エンジンで脱炭素の実現」と「エンジンで業態転換の実現」を軸にした“KAAZ Engine Spirit(カーツエンジンスピリット)”を理念として掲げ、水素エンジンの開発を始めとした様々な取り組みに挑戦しています。
時代の流れに飛び付かず、信念を貫いて経営を行うと話す勝矢さん。その信念の根幹を紐解き、カーツが目指す先をどう描いているのか語っていただきました。
代表取締役社長 勝矢 雅一(かつや まさかず)さん
1964年(昭和39年)岡山市生まれ、58歳。1987年カーツ入社。常務、専務などを経て2006年より現職。青山学院大経済学部卒。岡山商工会議所副会頭、日本会議岡山議長も務める。
取材:大久保 崇
『ダシマス』ディレクター。2020年10月フリーランスのライターとして独立。2023年1月に法人化し合同会社たかしおを設立。“社会を変えうる事業を加速させ、世の中に貢献する”をミッションとし、採用広報やサービス導入事例など、企業の記事コンテンツの制作を支援する。
執筆:川又 瑛菜(PN:えなり かんな)
フリーライター。求人広告代理店や採用担当などHR領域の経験を活かし、企業へのインタビュー記事や採用広報記事、イベントレポートを中心に執筆している。フランスでの生活を目指してフランス語を勉強中。読書と人文学が好き。
電動化には取り組まず、あくまでもエンジンにこだわる
――まず、カーツ社の創業からの歴史について教えてください。
祖父が創業した会社で、私の代で3代目になります。祖父の父である曽祖父や、祖父の出自について詳しいことはわかっていません。祖父は広島で生まれたようですが、なぜ岡山へ来て岡山で事業を起こしたのかわからないのですが、東京の鉄工所で丁稚奉公のようなことをしていたようです。その経験を活かして岡山で鉄工所を創業。間も無くしてエンジンを作り始めます。しかしその後、創業50年が経つ頃にエンジン製造は終了することとなりました。終戦後、それまでは戦車や戦闘機を作っていた大手企業がエンジンを作り始めたことで、中小のエンジンメーカーは成り立たなくなってしまったそうです。
否応なしに業態転換を迫られて、草刈機や芝刈り機の製造をスタートしました。大成功とまでは言えませんが、高度経済成長の影響で軌道に乗り、まずまずの利益。そして50年後のいま、脱炭素などの影響を受けて再び業態転換し、エンジンの製造を復活させました。
芝刈り機や草刈機はこれから電動化されていくでしょう。ですがカーツでは電動化には取り組みません。エンジンは世の中から無くならないと確信しているため、あくまでもエンジンにこだわります。
――電動化ではなく、エンジンに特化すると考えられたのはなぜですか。
電動化に取り組むとなると、バッテリーやモーターが必要になります。でもこれらは自社開発が非常に難しいんです。つまり必然的に、外部調達比率が上がってしまいます。それでは経営が今より厳しくなってしまうため、電動化には手を出さないことにしました。
もう一つの理由は、エンジンの開発を再開したことです。
エンジンの製造は約50年前に停止していたものの、当社の主力製品には全てエンジンがついています。それらに使うエンジンはすべて外部から調達していました。それはそれで強みとなることもあるんです。いろいろな会社のエンジンを使えることや、当社がある企業の小型エンジンの半分を購入していたため、イニシアチブを持てたことなどが挙げられます。
しかし、排ガス規制が厳しくなってきて、大手メーカーでもその規制に適したエンジンを作るのが難しくなってきました。対応が大変な反面、規制そのものにユーザーニーズがあるわけでもなく利益に繋がらないため、エンジン製造をやめる企業が出てきたんです。自社エンジンを持たないことが強みだったのですが、一転して弱みとなってしまいました。
そこで、もう一度エンジンを作ることに決めました。「どうせ作るならこれまでにないものを」と苦労しつつも、今まで世の中になかったエンジンを作ろうとしたんですね。するとその途端に、カーボンニュートラルの時代が到来します。エンジンに力を入れて作り出していたので後には引けず、もうその道を突き進み、選んだ道を正解にするしかないわけですよ。
その覚悟やエンジンに対する想いを込めて、“KAAZ Engine Spirit”という経営理念も追加しました。輸出が9割のため、海外の人を含めたステークホルダーに「カーツはエンジンで行く」と理解していただくため、海外の人にもわかってもらえるような企業理念を掲げたんです。
模索しながら進める、水素エンジンの開発
――今後どのようなエンジンを作っていこうと考えていますか。
まず目指すのは、化石燃料からの脱却です。社会的責任を果たすためにもカーボンニュートラルを目指し、水素エンジンの開発を進めています。
実験レベルの水素エンジンは完成しているので、それをいかにして量産化するかが現在の課題です。日本には小型水素エンジンに適応した実験室がなく、国内では開発が難しいため、台湾の大学の施設を借りながら開発を行っています。実際に実験を行ってみて、どんな実験室が必要か把握できたので、自社の敷地内に実験室を設置する段取りも開発と並行して進めています。
当社の開発している水素エンジンは、世界最小です。エンジン部分の開発は成功したものの、問題は水素タンク。現在よく使われている水素タンクには大気圧の700倍の圧力をかけられていますが、それでも結構な大きさです。それを小型化するにはさらに高度な技術が求められます。またそれだけではなく、圧力を大気圧に戻してエンジンルームに送り込む小型バルブも必要です。しかし、そんな小型水素タンクも、小型バルブも今のところ存在していません。
そのため、水素エンジンが量産レベルになった段階では、どこまで水素タンクとバルブが進化しているかがキーになってきます。その時に最も進化しているタンクとバルブを使ったエンジンを作ることとなるでしょう。何に搭載する水素エンジンになるのかは未知数ですが、世界最小の水素エンジンの可能性を信じ、開発を進めている状況です。
ただ一方で、化石燃料を使ったエンジンにも取り組み続けます。脱炭素が叫ばれていますが、化石燃料のエンジンを必要とする声はなくならないからです。
例えば原発を守る最後の砦がエンジン発電機なんです。原発には何か事故が起きた時に備えて、緊急冷却用のエンジン発電機が配備されています。この先脱炭素がどれだけ進んだとしても、そこでは必ずエンジンが必要となります。
もうひとつ、化石燃料のエンジンが欠かせない領域が軍事産業です。先ほど世界初の仕組みのエンジンを開発したとお話ししましたが、その際、いろいろな方から問い合わせをいただきました。そのひとつが軍事産業です。現在は警戒監視用の無人航空機用のエンジンを開発しています。
化石燃料のエンジンを必要とする方々に対して、エンジンに取り組む企業として貢献できることも多いと思うので、ニーズがある限りはできるだけ応えていきたいと考えています。
――ものづくりをされる上で、心がけていることは何ですか。
独りよがりにならないことですね。大手・中小を問わずにメーカーが抱える課題として、「新しいものを出さないといけないが、何をやっていいかわからない」というものがあります。技術的に優れているものばかりが、世間から求められるわけではありません。ものづくりをしていると、独りよがりになってしまうことも時折あります。
作る側としてはどうしても新しい技術を取り入れたくなりますが、ユーザーが求めるものを見極めてものづくりを進めなければなりません。その点、カーボンニュートラルが打ち出されたことでやるべきことが明示されたのは、ある種ありがたいことだなと感じています。誰もが納得できる指標ができたおかげで、何をすべきか悩むことなく、開発だけに集中できますからね。
――代表になられてからもっとも苦しかった局面と、どのようにそれを乗り越えられたのか教えてください。
当社は輸出が9割と海外との取引が非常に多いです。だから円高が一番のリスクで、10年ほど前に1ドル70円台になった時は非常に苦しかったですね。苦しいものの、為替のこととなると自社や自分自身で何かすることはできません。その時は、人の助けを借りて乗り切るしかありませんでした。
人に助けを借りることや、土壇場での心の持ちようについては、ある映画俳優さんの生き様に影響を受けて身についたものです。俳優になる以前には数々の修羅場をくぐってきた方で、その方と何度か話をする機会があり、そこで聞いた生々しい話があるからこそ、厳しい状況に耐えられたのだと思います。
とはいえ、胆力を鍛えるためのトレーニングなんてものはありません。実際にその局面になってみないと、人間力や胆力があるかなんてことはわからない。当時はなんとか乗り切れてよかったですよ。
時代の流れに飛び付かず、信念を貫いて経営を行っていく
――昨年100周年を迎えられたわけですが、事業面以外でこれから取り組みたいことはありますか。
3つあります。
1つ目は、メタバースです。「KAAZ Metaverse(カーツメタバース)」と銘打って、現在取り組んでいる最中です。航空会社もメタバースで旅行をしたり、そこで買い物をしたら家に買ったものが届いたりといった試みをはじめています。このように商流や物流がそこで行われるのであれば、注視しておかなくてはという思いでスタートさせました。
2つ目は、なぜカーツが100年も続いたのかを明確にすること。恥ずかしながら、自分たちでも分析しきれていないのが事実です。しかし経営の最大の目標は継続。そのためにも、なぜこれまで継続できたのかを明確にすることが重要です。また、継続に必要であれば同族経営からも躊躇なく脱却する覚悟があります。
3つ目は、社員のモチベーションを高めるために、人間関係も含めて環境を整えること。私は個人的に、人間関係で悩むのが一番つまらないと考えています。また当社は成果主義には反対なのでノルマもなし。事業計画は立てるものの、目先の成績を厳しく責めることはありません。その上で、終身雇用・年功序列にこだわっていこうと考えています。
――そう考えられるのはなぜでしょうか。
日本式経営の素晴らしさだと感じているからです。もちろん、年功序列というのは能力のない年だけとった人が居座るという意味ではありません。ただ、年功序列を完全に無くすと、秩序がなくなり、組織がダメになるのではという危惧があります。
これは組織にもよりますし、大企業など企業によっては年功序列や終身雇用は合わないところもあるでしょう。ただ、当社のような中小企業の場合は流行りに流されず、会社にあった戦略を選ぶ必要があります。代表である私は社員の顔も全員知っています。社員のパートナーや子どもまで知っている人もいるほど、社員との関係性は密接です。
会社が従業員の人生を大切にしていくことが必要だと私は考えています。従業員の人生設計と会社がリンクする経営を中小企業は行うべきですし、血の通った経営をしていきたい。この方針は私だけで終わらせるのでなく、次世代にも引き継ぐつもりです。
――最後に、次世代を担う若者たちへのメッセージをお願いします。
私たちは輸出が9割と述べた通り、世界を相手に仕事をしています。海外の方とも関わることも多いですが、そのなかで接する他国の方々はみんな、「私は〇〇人だ」と誇りを持っています。そのため私たち日本人も、国際人である前に日本人でなければならないと感じています。グローバル化が進み、若いみなさんは特に、海外の方と仕事をすることがより一層増えていくでしょう。日本の歴史や文化を学び、その時に「私は日本人だ」と誇りを持てる人になっていただきたいと考えています。
そしてその上で、「こうありたい」というビジョンを持っていただきたいです。そして実現のためにどうするべきかを明確にしてください。何度失敗してもいいので、自分のビジョンに合った企業に出合っていただきたいです。
その会社がカーツであればうれしいですね。そう感じてもらえるような会社にするのが自分の使命だと考えているので、これからも真摯に経営に向き合っていきます。
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